T231の戯言

うまく書きたい

人間性は労働により失われるのか?(妄想)

根本にあるものはホワイトカラーのほうが賃金が高いという、知的生産性のほうが工場生産性よりも金銭的価値が高い仮定。

代替性が高いマニュアル人間のような人間は人間性が乏しいのではないかとか思いついてみたので、展開してみよう。実態はそうでないだろうが。

もちろんこれは妄想で、間違っている。


ここではいわゆる社会人、何かの職業に付き生産活動を行っている人に対して述べていく。

人間性は何?というのは難しい議題であるが、その人が人として認められるか?というものにしてみよう。

ホワイトカラーでは、専門性、独創性など、その人だからできることも多く評価されている。独自の価値を生み出すことで、称賛され、その人は自分の価値を仕事によって見出し、それが人間性として成立する。

単にブルーカラーは代替性が高いというのに尽きるのだが、マニュアル対応があるものは、成立するのは機械と置き換えても支障がないのではないか?

人間と対極にあるものは機械である。機械と代替されるものには人間性がないとするなら、代替可能なものは機械と変わらないのではないか?というのが今回のタイトルにある。

機械といえば正確性が売りになるが、人間によるぞんざいな扱いを受けるのも定番である。物に当たるとはよく言う。人間にとっては機械も物であり、人間よりも低い価値を持つ存在になる。彼らは罵倒も日常だし、そのような人こそ、人間としての存在を感じずに人間性を失ってしまうのではないかというのが今回表現したいものである。

解決策

その人をその人として認めてくれる企業やコミュニティに属するしかない。企業といったが、別に仕事で認められる必要はなく、それ以外に誰かに認められれば、人間性の喪失は防げるのではなかろうか。 仕事ならば、何らかの専門性を身に着けることが重要で、やっぱ教育って大事という本日の出来事でした。